問題:江戸時代の中期以降、日本はロシアとの外交問題を次々と抱えた。1792年、ラクスマンが( ① )に来航し、大黒屋光太夫の送還や通商を求めたが、老中松平定信はこれを拒否した。鎖国の状態を続けてきた日本に対し、ペリーが浦賀に来航した年にはロシア使節( ② )が下田に来航し、開国を求め、翌年には日露和親条約が締結された。 出題元【日本史検定6】

問題

江戸時代の中期以降、日本はロシアとの外交問題を次々と抱えた。1792年、ラクスマンが( ① )に来航し、大黒屋光太夫の送還や通商を求めたが、老中松平定信はこれを拒否した。鎖国の状態を続けてきた日本に対し、ペリーが浦賀に来航した年にはロシア使節( ② )が下田に来航し、開国を求め、翌年には日露和親条約が締結された。

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