問題:『無量壽經』上巻に「設し我れ佛を得たらんに十方の衆生、至心信楽して我が国に生れんと欲して乃至十念せんに、若し生ぜずば正覚を取らじ。唯五逆と誹謗正法とを除く」という有名な一節があるが、最後の「唯五逆と誹謗正法とを除く」という記述が、『觀無量壽經』の「…或いは衆生有つて不善の業たる五逆十悪を造りて諸の不善を具す…(中略)…一念の頃の如くに即ち往生することを得…」という記述と矛盾する。善導大師はこれに対し「『大経』の文は抑止的に示されたものであり、『観経』の文は既に作った罪であるから、大悲によって往生が可能である。(未造已造)」としたが、曇鸞大師はこれと違う見解を示した。その見解として、次の内もっとも適切なものはどれ? 出題元【浄土宗検定(上級)】

問題

『無量壽經』上巻に「設し我れ佛を得たらんに十方の衆生、至心信楽して我が国に生れんと欲して乃至十念せんに、若し生ぜずば正覚を取らじ。唯五逆と誹謗正法とを除く」という有名な一節があるが、最後の「唯五逆と誹謗正法とを除く」という記述が、『觀無量壽經』の「…或いは衆生有つて不善の業たる五逆十悪を造りて諸の不善を具す…(中略)…一念の頃の如くに即ち往生することを得…」という記述と矛盾する。善導大師はこれに対し「『大経』の文は抑止的に示されたものであり、『観経』の文は既に作った罪であるから、大悲によって往生が可能である。(未造已造)」としたが、曇鸞大師はこれと違う見解を示した。その見解として、次の内もっとも適切なものはどれ?

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